トップインタビュー

代表取締役社長 山本朋広

電動バイク事業の現状をおしえてください。

山口県岩国市の小さな会社ですが、電動バイクの製造販売を手掛けて4年目になります。大手メーカーも参入していますが、まだまだ電動バイクのマーケット自体が小さいので、これからもっともっと広げる必要があります。ありがたいことに、全国に1,000店を超えるネットワークを持つ企業や先行して電動バイクを開発していた企業との協力も得て、今、急ピッチで普及を進めているところです。
こうしてこの事業を展開できているのも、そういったたくさんの企業や人物からの協力を受けているからこそです。

海外へも進出していますね。

実は国内よりも海外の方が、電動バイクの需要は大きいのです。特に東南アジアへ出かけると、たくさんのバイクが群れをなして走っている光景をみかけます。それぞれの人たちに暮らしがあって、燃料代もばかにならない。それに、排ガスは空気を汚して健康に悪いばかりか、地球温暖化などの深刻な問題の要因のひとつです。電動バイクはそういった問題を解決する有効な手段になります。
現在、ベトナム、インド、イラン、中国、韓国などでの販売を推進しています。当社のA4000iという商材は全世界64か国で走っています。試乗会などでは、ガソリンが要らないことはもちろんですが、スタイルや乗り心地などについても、大変、好評を得ています。それに、現地の人たちにとっても手の届く価格です。電動バイクを普及させて、地球環境の改善に貢献する、これは当社のミッションです。

どんな人生を歩んで来られたのですか?
さぞかし夢多き少年だったのでは?

それが…、夢なんか持ってない、何をやっても平均よりちょっと良いくらいの、つまらない子どもだったんですよ。(笑)
ツバメ・イータイムが属するツバメグループは小さなガソリンスタンド(GS)から始まっています。父と母だけで営んで、店の二階が家族の住まいでした。両親と私、そして弟と妹の5人家族です。
そのころ、GSを継ごうという気持ちは全くありません。というより、何になりたい、何をしたいといった夢や憧れは、まったくありませんでした。
思い出といえば、躾の厳しい父によく叱られたことです。些細なことで家を出されて、犬小屋で犬と一緒に蚊に刺されながら夜を明かしたことも何度も…。いつのまにか、自分は何の役にも立たない、ダメな人間なんだと思い込んでいたように思いますね。

なぜ、家業を継ぐ気に?

地元岩国市の中学、高校を経て東京の大学に進んだのですが、卒業のときに、GSを支えていた母が病気で倒れたんです。母は私に、家業を継いで欲しいと言っていましたから、GSを継ぐことに決めました。大手石油会社の販売店に就職して、現場で働きながら実務を学んだ後、29歳でUターンして、家業のツバメ石油に入社しました。
夢といえば、ツバメ石油に入って、そのころはまだ1店舗でしたが、「その店を日本一の店にする」という夢を、初めて持ちましたね。というのも、自分はダメだ、役立たずだという考えが染み込んでいましたから、お客様が目の前で喜んでくれ、「ありがとう」って言ってくれる。それが単純に嬉しかったんです。
当時、ガソリンはどこの店も同じ価格でしたから、いかにお客様の立場に立ったサービスを提供するのかが勝負です。気づけば、この地域の店舗では、考えられないほどの販売量を達成していました。

電動バイク事業開発のきっかけは?

ツバメ石油に入社した1996年に、国内の石油業者を保護していた法律(特定石油製品輸入暫定措置法)が廃止されました。いわゆる規制緩和です。それまでは地域のGSは、暗黙の了解でどこも同じ価格で販売していましたが、これを境に価格競争に突入していきます。規模の小さな販売店は厳しい状況に追い込まれました。
それでも、店舗を増やしたり、車検、板金、保険、レンタカーなど、関連事業に進出したりと、大変忙しい毎日を過ごしました。自動車に関連するサービスのほとんどを提供できる。そんな、地域では珍しいカーライフのトータルサポートを提供するグループ企業を目指したんです。
しかし、ある不安が、ずっと頭から離れませんでした。それは、この業界自体が根本的に持っている問題です。とりわけGSは政策や卸元の方針が変わることによって、経営が根幹から揺さぶられてしまいます。いつ、また規制緩和のような、大きな転換がやってくるのかわかりません。40歳になって社長に就任して、さらにその不安は大きくなりました。
それと、もっと地域のために、さらには日本のために役立つような仕事をしたいとも考えるようになりました。

人から頼まれる仕事の一つ一つを、相手の期待をほんの少しだけ上回ることを心掛け、そして、喜んでもらう。それが自分にとって何よりも嬉しくて、それを重ねて来ました。すると、出会いが出会いを生み、いろんな人たちの話を伺うようになりました。そんななかで、知らず知らずのうちに勉強させていただいたのだと思います。気づけば社会や経済、政治、教育などの現状に、色々な疑問や違和感を覚えるようになっていました。「自分にも何かできないだろうか。社会の役に立ちたい」という思いが、日増しに強くなったんです。
あるとき、電気自動車の整備についての研修を受けたとき、電気自動車はガソリン車と違い、大きな資金や高い技術力がなくても作れることを知りました。それでも自動車を作ることはハードルが高い。でも、電動バイクなら、私にもチャンスがあるのではないか。でも、なかなか実行する勇気がなくて、やり始めるには6年もかかってしまいました。
忘れもしない2014年1月4日、高校時代の恩師から電話をいただき、一冊の本を薦められました。電動バイクの事業をすでに手掛けていたテラモーターズ社の徳重徹社長の本です。ああ、自分がやりたいことを、この人はもうやっている!って、すごいショックでした。

2014年にこの事業は本格的にスタートしたわけですが、たった3年でここまでの事業展開をするとは…。順調な滑り出しですね。

いや、それがそうでもないんですよ。最初は自分でも驚くほど順調で、開発、生産、販売までの道筋は早い段階で決まりました。しかし、これを実現するのには、正直、とても苦労しています。
まずは資金面です。会社に余裕はありませんでした。もちろん、従業員の生活は絶対に守らなければならないので、リスクの高いことはできません。そんな行き詰まりの状況を突破できたのは、銀行からの出資でした。電動バイクがまだ試験販売だったときに、事業の将来性を買って投資していただけた。

これによって、事業化へのスピードが加速しました。
それと、やはり出会いです。事業化への背中を押してくれた本の著者・テラモーターズ社の徳重社長とは、同じ山口県出身ということもあって、さまざまな協力を得ています。また、自動車関連の事業でお世話になってきたカーコンビニ倶楽部社からも販売面の協力を得ています。そして、海外の企業とも協力体制が作れました。このようなご縁がなかったら、今のツバメ・イータイムはありません。

最後に将来のビジョンを聞かせてください。

2023年に売上規模1,000億円の企業にします。そして、上場も目標の一つです。
地域の小さな会社にそんなことが本当にできるのかと、笑われるかもしれません。しかし、やれるはずだし、必ずやり遂げます。むしろ、巨大化して小回りの利かなくなった大企業よりも、中小企業にこそ、ニーズをとらえて、しかもリーズナブルな製品の提供ができると考えています。
かつてはメーカーといえば開発から製造、販売、メンテナンスまで自社で一貫して賄うスタイルでした。でも、今はそれをしなくても、世界中から部品を調達して製品を組み立てることができます。パソコンの製造がその良い例です。

山口県の岩国に生まれた小さな企業でも、世界へ進出するビジネスが創れる。そして、地球規模のエネルギー・環境問題の解決に貢献できることを証明したいと思います。そうすれば、地域の中小企業にとっての一つのビジネスモデルになれる。その先陣を切りたいのです。
電動バイクの事業は地球環境を守ると同時に、地域中小企業の将来や、ひいては日本経済の道しるべになるはずです。

インタビュー / 2016年7月 聞き手 藤井康弘(株式会社くるとん)